中学生の頃の夢

家族の猛反対と担任の先生の反対もあった商業高校への進学。

部活でとりたてて活躍したこともなく、はっきりとした目的もなく、

ただ「早く働きたい」という思いが強く、第一志望は定時制高校

でした。「働きながら学ぶ」って、当時からしてみれば(1990年代)

よっぽど事情があって普通高校に行けない人が、なんとか高校だけには

行きなさい、と誰かに言われてか仕方なく行くものだったのかも。

親や、親以外の親族、担任の先生も勧めるのは近所の普通高校で、進学高校

ではあるけどレベルが高いものでもなく、徒歩で10分位のところにある

から、そりゃあ、親にとって見れば、交通費かからないし、そこの

高校卒業してからだって、いくらでも就職できるよ、って話で、

今の私が、当時の私の親の立場だったら「そんなバカげた話あるか」

と思いつつ、子どもの気持ちを尊重して、話をよく聞いたりするかも

しれないけれど、実際私の親は、それまで放任主義だったものだから

「そんなバカげた話あるか」と言いつつ、認めてくれました。

でも、第1志望の定時制高校は「定時制高校は頼むからやめてくれ」

みたいなこと言われて「じゃ近くの普通高校でなく、高校卒業後すぐに

働きたいから商業高校行く!」という流れだった気がする。

15歳そこらの子どもって、世間知らずだものね。

その世間知らずで、もっと別の具体的な夢でも持っていればいいかもしれないけど。

目標とするものが何だったか忘れたけど、とにかくなんでもいいから

「働きたい」気持ちが強かった。

なんでだろうと考えてみる。過去の話だけど。今はおばさんだし。

私の両親は、お互い再婚同士で、今は珍しくないけど母親は39才で高齢出産でした。

複雑な家庭環境ではあるけど、私は寂しいとかつらいとか感じることはなく、

それなりに家族に愛されていたのだろうと思います。

ただ、やさしい気持ちって生まれついての性格なのか、ことあるごとに

両親が「お金がない」「銭がない」と話を小耳にきいていると、「ああ、お金を

かけては迷惑なんだな」と感じていました。

そりゃあ、連れ子がお互い2人ずついて、私と7~20才年の離れた上のきょうだいが

いれば、ひとり就職していたとしても進学(高校)するのに、ましてや大学

行くのにお金がかかるよな~、切実に、とは、今では思うけど、当時は

「お金をかけてはいけない」と、親が大好きな私は思い込んでいました。

なのに、働きながら学ぼうとする自分の思いに反対をする親たちに、戸惑いや、

逆に反発したような気がします。いや、当時は反発の方が強かったな。

思春期だし、学校が大嫌いだったし。勉強は嫌いではないけど、特に好きでも

なかった。

思春期の反抗期の子どもに、何を言っても、耳に入らないのかもしれない

けれど、それより私の親は子ども(私)と会話をすることもあまりなかったので、

真意はわからないけど、末っ子だったし「子どもは放っときゃ勝手に育つ」主義

だったのだろうな、と思います。

40、いや、30歳過ぎた大人になってから、もし私が親の立場だったら、特に

生活に困窮している事情もなく不登校でもなく、両親がいて勉強できなくはない

自分の子どもが「定時制高校に行きたい」なんて言ったら、びっくりたまげるわな、

とは思う。

できれば、そんなに生活困窮していなければ、普通に高校に行ってほしいというか、

行くのが普通だと思うし、今の時代なら、大学進学は普通なのかもしれないけど。

そんな、自分の当時の思いもあって、私の子どもには、好きなように幸せに生きて欲しいと思うけど、ある程度の道すじは教えていかないといけないなと思います。

生き方、道徳、人として間違ってはいけないこと、など基本ができればとは思う

けども、健康、元気、経済的(余裕はないけれど)が満たされれば、あれも

これもと欲を持ってしまいます。

でも、なにより今大切にしたいのは、いろんなことを教える、話をすることかな。

話下手な私だけれど。