つらかった思い出
今まで生きてきた中で、それ程、波乱万丈な生き方はしていないとは思う
けど、つらかったなぁ、と思う出来事がある。
小学3年生の時にいじめられたこと、中学生の時の人間関係、高校生の時の
疎外感と孤独感。その時のいじめた人のことって、2度と会いたくない、顔
見たくないとは思うけど、大人になって、いろんないじめやいじめで自殺した
人の記事を見てると、私が受けたいじめなんてかわいいものだろうと思う。
心は非常に傷つき、泣き寝入りもしたけど、いじめられる自分が情けないというか
強くなれない自分が悲しいとか、自分を責めてしまうことがつらかったような。
身体に危害を受けたわけでもなし、学校でいじめられても家に帰れば近所の
学年の違う子たちと遊んだり、中学校では学校でクラスの仲良しグループ以外の
子たちと遊んだり、高校生になれば高校が嫌でも中学校の時の友達と会って
遊んだり、バイトをしたり、それなりに、ひとりぼっち、というわけでもなかった
のだろうな。
そして、本を読むのが好きでいろいろと影響を受けながら、何の本だったか忘れた
けど「いじめた人を許す」と心が晴れる、みたいなことが書いてあり、眠れない
日に考えをめぐらせて、「あいつがいじめてくれたおかげで、あんな風にいじめられ
られない術をこれから持つことができる。」「かなりつらかったけど、大きな被害危害はなかったからよしとしよう」「これから大人になってもっといろんな人と出会うこと
になると思うけど、いじめそうな人とは関わらない」など、いいこともあったと思うと、いじめられてつらかった経験も悪くないなと考えられるようになった。
そして、誰のか何の本でか忘れたけど「悲しみの深さが大きい程、人は優しくなれる」
だったかな、そんな言葉に支えられる。涙出そう。
あ、それで思い出した。福祉系の仕事に就こうとした動機。それで今、介護関係の
仕事してるんだ。ははは。
就職活動で作文とか履歴書に志望動機、ってあるけど、正直に書けないものだし、こう
書けば受かるんじゃないの?と考えながら書くから、書いたことが本当の希望動機だったような気がしてた。ま、正しい日本語が書ければ何だっていいかもしれないけれど。
晴れて人の役に立つ介護の仕事をして、やはり、良かったと思う面もあれば、現実と
理想のギャップみたいなものはあって、それはどんな仕事でもそうなんだろう。
今日ニュースに出ていたアカデミー賞特殊メイク部門で賞を受賞した辻さんも、
なりたくてなった映画の仕事をやめていた時期があった、と話していたようで、
華やかなせかいでもそうなのだな、と妙に納得。でも、結局は辞めないで才能を
認めてくれた人がいたのだから、よくわからないけど、努力と才能の賜物なのでしょう。
では、私はこのまま今の職場でずーっと働き続けていくべきなのだろうか。
私の周囲の人たちの8割(たぶん)と私の心の中の4割が「辞めたらもったいない」
と訴える。でも、でもでもでもでもでも、辞めたい。
いいや、プラス思考、肯定言葉で言おう。新しい好きな仕事をしたい。
がんばろ!